Open Studio Tokyoの制作メモ

Open Studio Tokyoというサービスを作り途中。

ちょっと脱線の「やる気の話」

今回は、登録者が少なくてもサービスが成り立つような、アーティストリストの作成の話を書く予定でしたが、ちょっと脱線した話をしますね。

「アートピーポーたちが繋がるといいな」いう構想はたぶん、いろんな人がうっすらと考えることかと思います。私も例に漏れずに、ここ数年うっすら考えていて今回実行に移してみました。今回はなぜ、「うっすら」から「実行」になったのかを脱線として書きます。

そろそろ大きなものに巻かれなくても生きていけるのではないか?

大きなものというのは、権力だったり権威だったり。それが解体することはまだまだ無いとは思いますが、その傘の下でしか「活動したことにならない」ような時代はすでに終わっています。しかし実際の生活費を稼げるような活動や、展示の機会を得るにはやっぱり「何かに認められたもの」が強いなぁと。

私個人のキャリアの話をすると、美大に通っていません。美術教育と言って良いのかわかりませんが、2007年頃に美学校で版画と写真と細密画の授業を1年受けました。1年なんてあっという間なので、趣味の範囲の技術。あとは、2013年と2014年に福島で開催された芸術祭の総合ディレクターになり、2014年から2017年は宮城県にある私立美術館のディレクターとして展覧会を組み立てました。現在はブロックチェーン技術をつかった作品証明書を発行する会社でディレクターをしています。あと個人活動のBaexong Arts

私は自分のキャリアを奇跡的によい方向で歩んでいるなと自負していますが、学校法人でない「私塾」で一年足らずの教育、「地方の芸術祭」や、公営ではない「地方の私立美術館」での仕事は、王道から外れまくっているので(バカにされるというか、歯牙にもかけてもらえません)、野良アーティスト、野良キュレーター(インディペンデントキュレーターなんてカッコ良い感じでもなく)。おばちゃんの趣味。低空飛行で、本当に飛べているのかわからない程度の高度での活動です。

そんな感じで、「大きなもの」に巻いたり巻かれたりするタイプではないので、自立する道を選ばないと生きていけません。同じように低空飛行している人たちは、本来なら手を取り合って、組合でも作って権力に抵抗するのが道理です(アートの業界で生きていくためには)。しかし野良っ子たちは手を取り合うのは苦手です(だから野良っ子)。

「手を取り合わなくても取り合っているような仕組み」が今だったら、私程度の情報技術の力でも実現できちゃうかな?との不遜な考えが勝り、「うっかり」が「現実しちゃおう!」となりました。

実現がこのタイミングだった他の理由には、三田村光土里さんが自分の部屋をギャラリーにしようかなという話をFacebookに書いていたことを三田村さんに詳しく聞けたこと、川久保ジョイさんからイギリスのアート組合についての話を山登りしながら聞いたことも影響しています。アート業界のいらぬ権威(いる権威もありそう)を解放したり、「誰とも組まない組合」だったらやりたいなぁと。ちなみに2人は世界のあちこちで大きな展覧会に呼ばれているアーティストです。

直接ではないですが、2017年にイギリスのマイクロレジデンス「Art Action UK」に採択されて滞在していた時に、滞在させてくれていたKaori Hommaさんたちが運営していたアーティストのオープンハウスの活動も影響しているかもしれません。小さき活動も継続していくことで力を持つなというのを間近で見れました。

artaction-uk-japan.jimdo.com

 そして、事務所もシェアしてもらっているNOT SO BADなブログの人の影響も。彼はアーティストではないですが、自分のサービスで生活をしています。例えば「AIを2つ用意し、AI同士が延々と予測変換しているさまを見る」というような見ていて何が楽しいのかわからない、誰が使うのか、社会に役立つのかわからないサービスを「ITの人」ということで「仕事」と称して日々作っています。あんまりアーティストと変わらんなと横で見ていて思います(めっちゃ違うと思うことも多々ありますが)。

と、とりとめの無いことを書いてしまいましたが、次回は本当に「登録者が少なくてもサービスが成り立つような、アーティストリストの作成」について書きます!